世界遺産10周年を迎えた国立西洋美術館|2度の落選を乗り越えた「構成遺産」としての価値

こんにちは。アーキ・コヤマ一級建築士事務所の小山です。

本日は、私たちの実務とも地続きにある「建築の歴史と価値の証明」について、一つの節目を機にお話しさせていただきます。

東京・お台場のガンダム、そして東京都庭園美術館でのルーシー・リーや上野リチの意匠に続き、今回は上野にある国立西洋美術館本館を巡る物語です。この本館を含む「ル・コルビュジエの建築作品」が、ユネスコの世界文化遺産に登録されてから、ちょうど10周年の節目を迎えています。



写真1:国立西洋美術館の全景写真、ロンドンナショナルギャラリーコレクションポスター、ゴッホのひまわりと
(世界遺産登録10周年を迎えた国立西洋美術館の本館。ル・コルビュジエが提唱した近代建築の5つの要点(ピロティなど)が随所に見られます)

今でこそ上野のランドマークとして広く認知されている世界遺産ですが、その登録に至るまでの道のりは決して平坦ではなく、実は過去に2回にわたる「落選(登録延期)」という厳しい経緯を経ています。

なぜ、近代建築の巨匠による名作がこれほど苦戦したのでしょうか。その背景には、「世界遺産は1人の天才(個人)を評価するものではない」というユネスコの厳格な思想があります。

当初の推薦では、ル・コルビュジエという個人の才能や建築デザインの素晴らしさを前面に押し出していました。しかし審査側からは、「個人の業績を称えるためだけに世界遺産という仕組みを使うべきではない」と厳しく指摘され、2度にわたって登録を阻まれることとなったのです。

文化遺産として認められるためには、彼が提唱した「近代建築運動」が、20世紀の人類の暮らしや社会システムを世界規模でどう変えたのか、というマクロな歴史的証明が必要でした。

そこで重要になったのが、フランスが主導となり、日本、インド、アルゼンチン、さらにはドイツ、スイス、ベルギーを交えた7カ国が共同で国境を越えて連携する「シリアル・ノミネーション(構成遺産)」というアプローチです。


[写真:前庭にあるカレーの市民像の写真]
(キャプション:前庭に佇むオーギュスト・ロダン作「カレーの市民」。フランスの街を救うために犠牲となった市民たちの群像劇であり、国境を越えた多国籍の連携で勝ち取ったこの世界遺産の歩みにもどこか重なります)

実は、当初はル・コルビュジエの名作とされる建築の中から22の作品をリストアップしていました。しかし2度の落選を経て、ただの作品集ではなく「建築思想の世界的な伝播と多様性」をロジカルに証明するために、17の作品へと徹底的に構成し直したのです。この厳選された17作品のまとまりこそが、登録への決定打となりました。

フランスにある有名な「サヴォワ邸」やマルセイユの「ユニテ・ダビタシオン(集合住宅)」といったヨーロッパの傑作に並び、なぜ日本の上野が「欠かせない1ピース」だったのか。その理由は、この削ぎ落まれた17の構成にあります。

登録された資産には、ヨーロッパ圏だけでなく、南米のアルゼンチン(クルチェット邸)、そして南アジアのインド(チャンディガールのキャピトル・コンプレックス)などが含まれています。

ル・コルビュジエの思想が、一部の先進国だけの局地的な流行にとどまらず、地球規模へと広がり、各地の気候や文化に合わせて実践・定着したこと。それを物証として証明するために、南アジアのインドの作品群とともに、東アジアにおいて彼が直接設計を手がけた唯一の建築である、上野の国立西洋美術館が不可欠だったのです。

「天才の作品」としてではなく、「世界への建築思想の伝播と定着の証明」へとプロジェクト全体のロジックを180度転換し、構成遺産としての必然性を証明し直したことで、歴史的な登録へと結びつきました。

目に見える個別のデザインだけでなく、全体における配置の必然性を証明するプロセスは、私たちが日々の設計実務において、敷地の周辺環境や歴史的文脈を読み解きながら図面を構成していく作業とも深く重なるものがあります。

新体制となった〇〇建築設計事務所でも、こうした建築が持つ普遍的な価値と歴史への敬意を大切に、確実な設計実務でプロジェクトをサポートしてまいります。

次回は、この17作品の中から、インドとアルゼンチンにあるル・コルビュジエ作品を取り上げ、上野の国立西洋美術館との興味深い「類似性」について設計者の視点から解説いたします。

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